歴史

天正八年1580年
安芸国豊田郡本郷村(現在の三原市本郷町)にあった小早川隆景の居城・新高山城山麓に位置した本寺は、三原城築城に伴い、現在地に移る。
承応元年1652年
徳川幕府三代将軍徳川家光の落胤とされる月姫が三原浅野家三代浅野忠真の側室となったことにより、本寺は月姫の祈願所となった。この事で徳川幕府から5,000石の御化粧料を下賜され、将軍家菩提寺である増上寺の寺号を賜り増上山大善寺とされ、三つ葉葵の家紋の使用が許された。
貞亨三年1686年
山門建立
元禄元年1688年
六地蔵尊伊藤家により寄進される
元禄六年1693年
釈迦堂建立
元禄十六年1703年
64歳の月姫は三原の屋敷へ約10年留まり住され大善寺護持発展に寄与された
宝永二年1705年
阿弥陀堂建立(明治十五年に破損により壊す)続いて観音堂建立
文政二年1819年
火災により本堂庫裡を消失
文政三年1820年
庫裡を建立
文政十年1827年
本堂を建立

ゆかりのある人物

月姫(月渓院)
浅野家三代浅野忠真の側室。
月姫が浅野忠真の側室になった経緯については、月姫が江戸城内にて遊戯中に三原浅野家から江戸に預けられていた忠真と偶然出会い、本来遊んではならない場所で遊んでいた姫を戒めたことで忠真に一目惚れしたとの言い伝えがある。
月姫は正徳3年(1713 年)、74 歳にて逝去し、当寺に葬られている。

月姫の日用品

月渓院墓所
鈴木方衛
三原城主の家臣で、江戸幕府より日光東照宮の修復が各藩に命ぜられたとき、誰にもできなかった難工事を10日間で仕上げ、将軍を驚嘆させた智者として伝えられている。

鈴木方衛墓所

文化財

木造阿弥陀如来立像
県重要文化財
昭和 42 年5月8日指定